本ページは、
人物・流派・書物を否定するための場ではありません。
ここで扱う「兵法36計」は、
古来より多くの実戦と知恵を支えてきた、
価値ある戦術体系であることを大前提としています。
近年、兵法や戦略という言葉は、
ビジネス・自己啓発・SNS文脈の中で、
「キャッチーで即効性のある知恵」として消費される場面が増えました。
その中で特に「兵法36計」は、
という理由から、
文脈を失ったまま独り歩きしていると感じられることがあります。
本稿は、その現状に対する
静かな違和感と憤りから生まれています。
ここで行うのは、
ではありません。むしろ、真逆です。
孫子兵法13編から派生した「兵法36計」を、
本来の重さと深さに戻すために、
いったん表層の解釈を切り分ける ——— そのための作業です。
「斬る」という少し強い言葉を使っていますが、
それは攻撃ではなく、治療や整備に近い意味です。
本サイトにおいて、
「兵法78節」は戦略思想の根底及び思想の源流として位置づけられています。
源流は同じでも、
という役割の違いがあります。
本稿ではこの違いを明確にした上で、
両者を対立させるのではなく、
現状を理解したうえで照らし合わせる
という立場を取ります。
繰り返しになりますが、本稿は決して「兵法36計」という思想や体系そのものを否定するものではありません。
ただ・・・思うのがこの考え方が浸透してきた背景には「戦場に立ってしまった後の知恵」という側面が多い気がします。
これは・・・孫子兵法13編の根底にある
「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり
戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」
この1節と比べてどう受け取れるでしょうか?
―― 私自身こう感じます。
「敵すら存在させないのが、本家兵法なのではないか」
現代風に解りやすく比喩に例えると
火災において消火器は必須です。火を消す前提で作られてますから。
しかし、そもそも論として――
火災となる原因や要因を作らないよう、
日々の生活設計・構造チェック・作業手順を怠らなければ、
消火器そのものが必要になるでしょうか?
そこの大切さを説いているのが「孫子兵法13編」ではないでしょうか。
「戦う技」より
「戦いが成立しない状態を作る技」
これが私の根底にあります。ここであえて「斬る」という行為に至るのも
兵法36計が嫌いだからでも、否定したいからでもなくて――
この兵法36計が"ペラく軽く消耗品のごとく扱われている状態"そのものが危険だからです。
本稿は、
兵法を「武器」にするためのものではありません。
誰かを制圧するためでも、
優位に立つためでもなく、
混乱の時代を、生き残るための知の構造
2500年色あせることのない「生存のための指南」として兵法を扱っています。
その点をご理解いただいた上で、
先へ進んでいただければ幸いです。
それでも、36計を見たい方は――
覚悟を持って、次へお進みください。