能因敵而制勝者、謂之神。
よく敵に因(よ)りて勝を制する者を、これを神と謂う。
敵の動き・状況・構造に応じて、自在に勝ち筋を作れる者──それを“神”という。
1. 「敵がどう動くか」でなく「敵だからこう動く」
勝利とは、自分の型を押し通すことではなく、
相手の性質・構造・反応を見極め、それに応じて勝ちを生み出す技術。
つまり、“敵に応じた変化こそが、最大の戦術”である。
2. 「制勝」とは、勝利を“操作する”こと
ここでの“制”とは抑えるでも抵抗するでもない。
“勝ちを自在に扱う”こと。
相手の内側を読みきり、先に勝ち筋を通してしまえば、抵抗すら起こさせずに勝てる。
3. 相手に合わせるのではなく、相手を使え
合わせる者は後手。
使う者は主導。
敵を読むだけでなく、“敵を使って勝ちを取る”という思考転換が、ここでの「神」の定義である。
勝つとは、相手に勝つことではない。
相手という存在を用いて、“勝ちを完成させる”ということだ。
ただ勝つのではなく、「相手だったからこそこの勝ち方が成立した」と言えること。
読み取れ。取り込め。流れを使え。
世の中 十人十色ならば、それ相応の読みがあり、それ相応の策がある。
敵を崩すな。敵を使え。
それが、勝ちにすら気づかせない支配の技法である。
この節が語るのは、“勝つ”という概念の再定義である。
魔晄炉的兵法においては、
勝ちとは押し切ることではなく、“相手の存在を利用して成立する流れ”そのもの。
敵を超えるな。敵を使え。
勝ちは仕掛けるものではなく、“成立させる”ものである。