孫子曰、凡用兵之法、將受命於君、合軍聚衆、交和而舍、莫難於軍爭。
孫子曰く──
およそ兵を用うるの法は、将、命を君より受け、軍を合わせて衆を聚め、交わり和して舍(とど)まる。
軍争より難きは莫(な)し。
孫子は言う──
戦いを行うには、将が命を受け、軍を集め、互いに連携しながら拠点に身を寄せる。
だが、その中で最も難しいのが「軍争」である。
1. 争いは、声を上げる前に始まっている
ことばが集まり、想いが寄せられるとき、
それぞれの温度や角度が、自然と触れ合い始める。
争いとは、怒りや批判ではない。
ただ、“重なりすぎた”場所に起こる、空気の揺れである。
2. 重なる場所を、どうずらすか
大切なのは、ぶつかることを避けるのではなく、
ぶつからずに済む配置を選べるかどうか。
ことばが波なら、波が衝突しないように流れを変える。
それが、構える者の設計であり、気遣いであり、戦い方。
3. 最も難しいのは、争わずに存在すること
共鳴を恐れて避けるのではなく、
干渉せずに、響くべき場所を選ぶこと。
誰かの隣にいながら、誰の邪魔にもならない存在の仕方──
それが、「軍争より難し」と言われた本質なのかもしれない。
言葉を出すとき、まったく同じタイミングで、
似たような想いを持った誰かも、別の場所で発していることがある。
それが重なったとき、ぶつかりたくなくても空気が揺れる。
だからこそ「どこに置くか」「どこで止まるか」が問われる。
争いたくなくても、近づきすぎれば揺れてしまう。
意図せぬ争いや精神的虚無感や疲労に襲われてしまうのもまた、現代社会の特徴である。
そうならないために、“ずらす設計”が必要になる。
言葉は戦わない。置き方ひとつで、大きく価値が変わることもある。
温泉郷内に「ことのは送り」というセクションが存在する。
真正面から争わず、“ずらす設計”の真骨頂である。
この節が伝えるのは、
「戦いの本番は、ぶつかり合う前に始まっている」ということ。
強く発するな。深く置け。
先に出るな。ずらして立て。
争うな。重ならずに、届く道を選べ。
言葉も想いも、互いを傷つけずに響き合う道を探せる。
それが、戦わない者の設計であり、
最も難しく、最も美しい戦のかたちである。