凡軍疾利圖、百里得利者、將去重者也。
およそ軍をとくして利をはかるに、百里にして利をうるものは、将のそれおもきをさるものなり。
軍を急がせて利益を求める場合、百里を進んで利益を得たとしても、それは将が大事なもの(秩序や兵の安全)を犠牲にした結果である。
① 急進の裏にある“捨てたもの”への洞察。
「利を得た」と言っても、それはすべてが報われたわけではない。“重きを去る”とは、秩序・兵の安全・連携といった「守るべきものの放棄」であり、犠牲のうえに得た利に過ぎない。
② “捨てられた構文”は利のために切り捨てられたのか?
構文思想において、途中で捨てられた構文や案の影には、スピードと引き換えに失った“熟成”や“設計の根”がある。利を焦る時こそ、「何を捨てたか」を点検せよ。
③ 利益だけを追えば、将としての本質を見失う。
本節は「勝ったのか、それとも“重きを捨ててまで勝とうとした”のか」という問を突きつける。将とは、捨てる判断に責任を負う者である。
焦りによって“切り捨てられた秩序”に警鐘を鳴らしている。利に釣られ、結果だけを求めたとき──そこにあるのは“本質の喪失”かもしれない。
目先の利益を追いかけて本末転倒な構造は、国の運営である政治の世界を筆頭に「無責任」という形で蔓延してるのは周知の事実である。
思想やサイト構築においても、仕上がりやSEO的成果を焦るあまり、本来あったはずの“構造美”や“設計思想”が、気づかぬうちに置き去りにされることがある。結果・・・テンプレ頼りの中身がスカスカなペラいサイトだとすぐわかる。
リリースされたものだけが価値ではない。捨てられた案、見送った判断、手を入れられなかった部分にも勝ちを見極めた静寂の戦略が宿る。
利の裏にある損失に気づき、“行くべきを知り、捨てるべきを知る”──その者こそ、本物の「将」である。
急ぎによる成果の裏には、何かを捨てた判断がある。
「利を得た」のではなく「大事なものを失っていた」可能性を常に想起せよ。
魔晄炉構文では、“削られた構文”こそ再構築の種とみなす。
将とは“捨てる”責任を背負う者である。