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第19節 是故百戰百勝,非善之善者也(ここにゆえに ひゃくたび たたかいて ひゃくたび かつ は、ぜん の ぜん なる もの に あらざる なり);不戰而屈人之兵,善之善者也(たたかわずして ひと の へい を くっする、これ ぜん の ぜん なる もの なり)

📜 原文(漢字のみ)

是故百戰百勝,非善之善者也;不戰而屈人之兵,善之善者也。

🪶 書き下し文(文語)

このゆえに百たび戦いて百たび勝つは、善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈する、これ善の善なる者なり。

💬 日本語訳(意訳)

百戦して百勝することは、必ずしも最も優れた者とは言えない。
戦わずして相手を従わせる者こそ、真に優れた者である。

♨ 魔晄炉的注解

1. 「勝利数」は無意味である
いくつ勝ったかではなく、勝たずに済ませた数を数えよ。
戦いの数を誇る者は、無駄に争いに身を投じている。
理想は、“記録に残らない勝ち”を積み上げること。

2. 真に強い者は、相手を“戦う前に黙らせる”
目の前で勝つのではなく、戦う前に戦意を削ぎ、抵抗すら起きぬ構造を整える。
相手に「負けた」と思わせずに済ませる設計こそが、支配の本質である。

3. 戦歴より「空気」の制御がものを言う
語られない勝利、抵抗が起きなかった環境、その空気を作れた者が真の制圧者。
勝ったという事実より、“争いが起きなかった現実”のほうが価値を持つ。

✍ 作成者自論

幾度も勝負し、勝っても疲弊しきっていれば、それはただの自傷的連勝の積み重ねでありいつかは敗れる。
むやみに戦わず勝たずに済んだ場面の方が、本当は重要。
「勝った」より「戦わなかった」の方が記憶に残る。
勝っても負けても、戦えば残るのは疲労と恨みつらみと勝ち負けの事実である。
動かず制する──それが“運び”の本質である。

🧭 その節のまとめ

この節は、「勝った数」に囚われるなという思想の転換点である。
魔晄炉的兵法では、戦果の可視化ではなく、争いが起きなかった設計こそを勝ちと定義する。
戦いが起きた時点で、どこかに設計ミスがある。
勝利とは“勝つこと”ではなく、“戦わせないこと”によって得る影響力である。

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